どうもこんばんは一流です。今夜は山手線から駒込と田端の街を歩いて気になったものをご紹介していきます。見てってください。
山手線から駒込駅と田端駅の登場です。正直山手線の中ではかなり地味めの駅ではありますが、閑静な住宅街の中にも歴史を感じさせる施設や公園などがたくさん見られます。山手線のほかは駒込駅には東京メトロ南北線が通り、田端駅は京浜東北線が通っています。あんまりここに書くような特筆すべきことが思い浮かばなくて困っているのですが、いざ歩いてみたら地味な街とは言わせない要素をいっぱい見つけることができましたので、ぜひご覧ください。
1.
まずは駒込の名所に来ました。
都立9庭園の一つである六義園です。回遊式築山泉水庭園というタイプの庭園で、1695年に作られたという長い歴史を誇ります。桜やツツジの名所として知られ、特に3月末に見頃を迎えるしだれ桜は圧巻の迫力を誇り、入場するのに長蛇の列が作られます。私も何回か見に行ってますがあれは並ぶ価値があると思いますね。江戸時代に作られた当時は徳川綱吉に特に気に入られたとされ度々ここを訪れた記録があるそうです。江戸の幾たびもの大火や関東大震災、東京大空襲のいずれでもほとんど被害を受けなかったことでも知られ、古くからの面影を都内に残している貴重な空間と言えます。これからの季節でいうと紅葉も見逃せないポイントの一つですので涼しくなってきたらまた行ってみようと思います。
2.
左側にアンパンマンの看板が見えますでしょうか。右側には見えづらいですがアンパンマンの銅像もあります。ここは株式会社フレーベル館の本社です。フレーベル館と言えばアンパンマンの絵本シリーズやウォーリーをさがせ!など数々の子供向けの絵本などを発行している会社です。1Fには売店コーナーがありアンパンマンのグッズなどが充実しています。会社でありながら子供連れにも大人気という珍しいスポットになっています。六義園に行った後ここに寄るという子供連れの方も多そうですね。
3.
本の楽園に来ました。
こちらは六義園近くにある東洋文庫ミュージアムの館内の本棚です(撮影可)。東洋文庫とは東洋学の専門図書館および研究機関の名です。東洋文学に関してはアジア最大、世界でも五本の指に入るほどの蔵書数を誇り、その数は国宝や重要文化財を含み100万点以上ともされています。併設されているのがこのミュージアムでここでは東洋全域の歴史と文化を主に文学や文字の観点から学ぶことができます。写真にあるのは日本一美しい本棚とも称されるモリソン書庫です。東洋文庫の創設者である岩崎久彌がオーストラリア人のモリソン博士から買い占めた東アジアに関する欧文の書籍約2万4千点のコレクションがずらりと並んでいます。手にとって読むことはできませんが、眺めるだけで圧巻の光景でした。本について新たな観点から見つめ直すことができるのでオススメのミュージアムです。
4.
駒込駅前から一枚です。
日本の桜で最も有名な品種といえばソメイヨシノがまず浮かぶかと思いますが、実は駒込が発祥の地ということをご存知でしょうか。ソメイヨシノという品種は江戸時代に交配によって生み出された種類の桜です。その生産地となったのがこの駒込にあった染井村でした。当時の駒込は大名の庭園が多くあり、その手入れのために植木屋が集まっていた園芸地でした。庶民も楽しむことができる花見のために品種改良されたソメイヨシノは、染井町と桜の名所であった吉野山から名前を取ったものです。この染井吉野記念公園は駒込が発祥の地であることを記念した公園ですが、園内にはエドヒガンとオオシマザクラという品種の桜が植えられています。この2種はソメイヨシノの交配元の品種にあたります。ソメイヨシノの両親を見比べてみると、どこかに面影を感じることができるかもしれません。
5.
駒込富士神社に来ました。
富士信仰の神社の一つで、境内には富士山に見立てた立派な富士塚があります。これまで東京写真10選でも色々な富士信仰の神社(浅間神社)をご紹介してきましたが、ここの富士塚は特に規模が大きく立派でした。建立年は不明とされますが、江戸時代から富士信仰の拠点の一つであったとされています。そんなこの駒込神社ですが、誰でも聞いたことのある言葉の元となった場所でもあります。それは初夢で見ると縁起がいいとされる「一富士、二鷹、三茄子」という言葉。この富士とはこの駒込富士神社のことを指しているのが元と言われています。この駒込地域にはかつて富士神社の他に鷹匠の屋敷があったこと、また茄子が駒込土産として有名だったことから「駒込は 一富士二鷹 三茄子」という川柳が読まれ、縁起物扱いされていました。それが転じて初夢に見ると良いということで次第に広まっていったとのこと。先ほどの桜といい、駒込すごいですね。
6.
吉祥寺に来ました。
ついに来ましたお寺の方の本家の吉祥寺です。以前吉祥寺を歩いた時に、吉祥寺には吉祥寺というお寺はないというお話をしました。
かつて本郷に吉祥寺というお寺がありましたが、江戸時代の明暦の大火によって焼失してしまいました。家を失くした周りに住んでいた人は武蔵野の地に移り住み、失われた故郷を偲び武蔵野の地に吉祥寺と名付けた...というのが現在の吉祥寺の街の名前の由来です。現在この駒込にある吉祥寺は燃えてしまった本郷にあったお寺を再建し移転して作られたものです。ここには栴檀林(せんだんりん)という学寮が作られ漢学の研究地だったそうで、これは現在の駒澤大学の前身にあたるものです。広い境内には二宮尊徳や八百屋お七などのお墓もあり江戸の歴史を感じさせます。吉祥寺に負けないくらい元祖吉祥寺も見所がありました。
7.
またバス停の椅子が気になりました。
椅子めっちゃ多くないですか?向きも全部違うし、全員座ったら面白い絵面になりそうだなと思っちゃいました。住宅街のバス停を歩くと住民の工夫みたいなものが見れて面白いことに最近気づきました。ここのフォーカスを当てた散歩も今度してみようかなと思います。
8.
都立駒込病院の前にあるものが気になりました。
都立駒込病院はがんや感染症に強い病院として知られます。実験などに使われる駒込ピペットという器具はかつてここに務めていた二木謙三氏が開発したことから名付けられました。駒込が起源のもの多いですね。そんな駒込病院の前にある石碑ですが、これは動坂遺跡という東京都指定史跡の一つです。1974年、駒込病院の外溝工事中に貝塚が発見されました。縄文時代の遺跡の上に江戸時代の遺構が乗っかっている形だったといい、縄文時代の遺跡には漁業の痕跡が残されていたといいます。またその上に乗っかっていた江戸時代の遺構は鷹匠の屋敷跡だったそうで、これは先ほどの「一富士 二鷹 三茄子」の鷹の部分にあたるものですね。住宅街が広がる街でこれほどの縄文時代の遺跡が見つかるのはかなり珍しいことのようです。
9.
動坂遺跡の名前からもう一枚です。
動坂(どうざか)という地名、動く坂ってどういう意味なんだろうと思って気になっているとちょうど看板を見つけました。動坂とは不動坂という言葉が略されたものであるそうです。不動の名の由来はこの坂の上に五色不動の一つ、目赤不動尊が置かれていたことに由来しています。五色不動といえば都内にある五色の色にまつわる伝説を持つ目黒・目白・目赤・目青・目黄の5つの不動尊のことを指します。これまでの散歩でも近くを通ることがあったのですがなかなか紹介する機会に恵まれなかったのでここでまとめて紹介しちゃいました。目黒や目白は地名にもなっているので有名ですが、他にも目赤・目青・目黄という名前があるのを初めて知った時は驚いたのを覚えています。全色制覇の散歩も面白そうですね。
10.
最後はりゅうのすけくん通りで締めましょう。
田端駅前に広がる商店街にはりゅうのすけくん通り商店街という名前がつけられています。りゅうのすけくんとは写真にある河童のキャラクターの名前なのですが、その由来はかの芥川龍之介からきています。芥川は河童を好み、河童の絵や小説「河童」を書いたことで知られており、彼の命日は河童忌と名付けれています。田端はかつて田端文士村と呼ばれ、明治から昭和初期にかけて芥川龍之介を筆頭に、菊池寛、竹久夢二、野口雨情、平塚らいてう、二葉亭四迷などの多くの文豪が暮らした街でもありました。東京大空襲により田端が大きな被害を受けたことで文士村は事実上なくなってしまいましたが、商店街の名前など街のあちこちにその名残が残されています。彼らが過ごした当時の景色を想像しながら田端の街を歩いてみると新しい発見があるかもしれません。
ということで駒込と田端の街をご紹介しました。来週は市に行きます。
お楽しみに。
おわり