東京日記

東京の気になったものについて書いてます。『東京写真10選』全100編公開中

東京写真10選その55(清澄白河・森下)

こんばんは一流です。今日は江東区から清澄白河と森下の街を歩いて気になったものをどんどんご紹介していきます。よろしくです。

 

 

 

 

 

江東区から清澄白河と森下の街が登場です。江東区もその19有明・国際展示場編以来みたいでかなりお久しぶりな街です。清澄白河と言えば最近は話題のコーヒー店がオープンするなどオシャレな街として注目を集めていますね。清澄白河という駅名は清澄と白河という町名を合体させたもの。その割には語呂が良く文字もなんだか綺麗ですね。路線でいうと都営大江戸線東京メトロ半蔵門線が通る接続駅です。大江戸線で隣となる森下駅には新宿線も乗り入れています。両駅周辺はいわゆる深川と呼ばれる下町風情が残るエリアでもあります。隅田川沿いのこのエリアで気になったものを写真10枚でまとめましたのでぜひ見ていってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

1.

 

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まずは清澄白河といえばここでしょう。

都立9庭園の一角でもある清澄庭園です。岩崎弥太郎1880年に造園したとされる清澄庭園は、池を中心として周囲に木や岩などを配置している回遊式林泉庭園と呼ばれるタイプの庭園です。見所が多く庭園好きの私もたっぷり楽しむことができました。池にはめっちゃでかい鯉がたくさんいたのを始めなんとスッポンまで泳いでおり、都会のオアシスとして機能していることがよく見てとれました。ちなみにこの庭園の隣には清澄公園という公園があるのですが、かつてはその敷地も合わせて一つの庭園だったそうです。ですが関東大震災で被害が出たため比較的被害の少なかった側を再整備して現在の姿になりました。その際には避難場所として多くの人の命を救った場所でもあります。まさにオアシスですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

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もう一つの名所、深川江戸資料館に来ました。

ここではその名の通り江戸時代に関する様々な資料が展示されています。見所は江戸時代の街並みを完全に再現した常設展示です。当時の住宅や八百屋、火の見櫓まで再現されておりまるで江戸時代にタイムスリップしたかのような気分が味わえます。この常設展示のスケールたるや私が小さいころ親に連れてきてもらった時の記憶がまだ鮮明に残っているほどです。そのほかホールや小劇場なども備えており、笑点の収録が行われることもあるのだとか。深川周辺は江戸時代から下町として庶民に親しまれてきた街です。深川めしも江戸時代あたりからよく食べられていたと言いますし、庶民の暮らしが想像できます。ここを訪れて先人たちの生き様に想いを馳せるのもたまにはいいもんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3.

 

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江戸土産屋、たかはしに来ました。

先ほどの深川江戸資料館のすぐ近くにあるこのお店。気になるポイントだらけの外観をしています。右からモンドセレクションを受賞している東京コーラ緑茶、看板下のまずいがひっくり返って美味いの意味になっていると思われる佃煮、この店のアレはうまいという思わせぶりな言葉にジバニャンなど…どこから手をつけようかって感じです。店内もバラエティ豊かな商品が並びますがこのお店の見所は何と言っても写真で侍の格好をしている店主のおじさま。店先で南京玉すだれや皿回しなどのパフォーマンスを行っており、観光客はもちろん地域の子供にも大人気のお店です。まさに下町情緒溢れる江戸時代を感じさせるお店でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4.

 

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クリーニング屋のチラシが気になりました。

一見するとただのクリーニング屋のキャンペーンのチラシのようですが、創業111周年の文字に目を取られました。すごい歴史ですね。こちらの牡丹屋クリーニングの創業は明治40年、今の店舗がある場所に牡丹屋洗濯店としてオープンしています。日本でも最古の部類に入る店舗と言えるでしょう。111周年を記念して戌年である事と掛けたわんわんわん祭を行なっているようです。字面は可愛らしいですがとんでもない歴史の重みを感じますね。こういった昔からの店舗があるのもこの街ならではといったところでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5.

 

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清洲橋に来ました。

隅田川に架かる橋は通りがかるたびにご紹介している気がします。今回は清洲橋のかっこいい姿をお見せしようと思ったのですが、残念ながら工事中でした…。この清洲橋昭和3年に竣工していますが、当時世界で最も美しいと言われていたドイツのヒンデンブルク橋をモデルとしている美しい橋で、築地編でご紹介した勝鬨橋などとともに国の重要文化財にも指定されています。隅田川に架かる橋はどれも当時の最先端技術を駆使して作られており、現代にその美しさを残しています。とはいえ竣工から90年近くなっている橋も多く、こうした工事やメンテナンスが欠かせなくなっています。当たり前のように使っている道や橋にもこうした点検や修繕を積み重ねていることを忘れてはいけません。

 

 

 

 

 

 

 

 

6.

 

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杉山金庫という店に来ました。

目が止まったのは杉山金庫の上に書いてある金庫と鍵博物館という文字です。この博物館には世界に一台しかないという旧日本軍の幻の金庫や江戸時代や鎌倉時代の錠に古代エジプトの模造錠まで古今東西のありとあらゆる鍵や金庫が展示してあります。何かのテレビでここを紹介していたのを見たことがあったのでこの文字を見たときピンと来ました。いざ見学しようと思ったのですが、ここは事前予約制だそうで叶いませんでした。残念…。博物館といってもここは個人商店の一角に構えた小さな部屋内に所狭しと金庫が並んでいる感じです。予約して行くと館長兼店主の杉山さんが一つ一つ丁寧に解説してくれるのだとか。今度はちゃんと行ってみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7.

 

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平賀源内電気実験の地という碑を見つけました。

現在この地は読売グループのビルが建てられていますが、その目の前で気になる碑を発見です。調べてみるとかつて平賀源内はこの地に自宅を構えていたと言います。源内は長崎でエレキテルを入手するとこの地の自宅に持ち帰り、そこで様々な実験を行ったようで、よく見世物として周りの住民や大名屋敷で披露していたと言います。源内と聞くとエレキテルのイメージが先行してしまいますが、他にも画家や俳人、医者などなどあらゆるジャンルで業績を残しているすごい人です。彼が過ごしたこの辺りを散策するとその多彩な才能のルーツに気付けたりするかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

8.

 

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深川で過ごした歴史上の偉人といえばこの人も欠かせません。

松尾芭蕉は37歳の頃からこの深川に移り住み庵を構えていました。かの有名なおくのほそ道の出発地もここ深川だったと言います。ここは芭蕉庵史跡展望庭園という芭蕉庵の史跡に作られた庭園です。隅田川を一望できる他、ご覧のような芭蕉の像やレリーフなどが設置されています。この像は17時になると回転し、22時までライトアップも行われているのですが、庭園が空いているのが16:30までのため近くでその姿を見ることは出来ないという謎の時間設定です。芭蕉にかつて住んでいた地を一望させてあげたいという配慮なのでしょうか。この近くには芭蕉記念館もあり彼の作品や足跡をこの地に残しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9.

 

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可愛らしい魚を見つけました。

よく見ると魚の体を構成しているのは小さな魚たちの絵。まるでスイミーのように小さな魚が大きな魚を構成しています。これはつながる堤防アートプロジェクトというプロジェクトの一環で、江東区の支援を受け地域の子供達などによって作られた作品だそうです。隅田川沿いには水害対策として大きな堤防が連なっていますが、そのせいで隅田川との間に壁ができてしまっています。そのため古くから川とともに生きてきたこのエリアに暮らす方々が川を身近に感じることができないというジレンマを抱えているのです。そんな問題を地域の子供達と一緒に解決していこうと発起されたプロジェクトがこちらだそうで、区がこうした活動を支援しているのはいいですね。隅田川との共生が今も昔もこの地域のテーマのようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10.

 

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最後はまさに隅田川との共生という写真で締めましょう。

と言いましたがこの川は隅田川ではありません。旧中川と隅田川の間を流れる小名木川という川です。小名木川は川と川を繋ぐ人工河川で、徳川家康小名木四郎兵衛に命じて作らせました。実は隅田川周辺にはこうした人工的に作られた支川がたくさんあります。この小名木川は西は清澄白河から東は東大島あたりまでをまっすぐ直線に結んでいます。このうち東側は地盤沈下が激しく、海抜ゼロメートル地点が続いているためこうした水門を利用し水位を調整しているようです。東京の川はそのどれもかつては暴れ川と呼ばれ数々の災害を引き起こしてきました。暮らしているとそんな実感がわきませんが、江戸時代から現代に至るまで多くの工夫や対策の上に安全が成り立っていることを改めて実感しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ということで清澄白河と森下のエリアをお届けしました。

来週はアルファベット三文字で略されるあの街に行きます。

 

 

 

 

 

 

おわり