東京日記

東京の気になったものについて書いてます。『東京写真10選』全100編公開中

東京写真10選その66(日本橋・三越前編)

こんばんは一流です。毎週更新はまだまだ続けます。今日は東京の中心、日本橋をぶらりと歩いて気になったものをご紹介していきます。

 

 

 

前の記事でもお伝えしましたが、毎週更新を始めてからちょうど一年が経ちました。どこまで続けられるかわかりませんが、これからも今持っていただけると嬉しいです。新しい試みも始めていますので、まだ前回の記事を読んでいない方はぜひチェックしてみてください!

祝・東京写真10選毎週更新1周年&重大発表 - 東京日記

 

 

さて気を取り直しまして、東京写真10選その66の始まりです。今回は中央区から東京の中心、日本橋の登場です。都営浅草線東京メトロ銀座線、東西線が乗り入れる日本橋駅と銀座線と半蔵門線が乗り入れる三越前駅周辺をぶらぶらしてきました。言わずと知れた江戸、ひいては東京の中心として古くから人の行き交う商業の街です。江戸時代に行われた神田川の開削工事により作られた飯田川(現日本橋川)の河岸を中心に栄え、以降現代まで東京の中心であり続けています。そんな日本橋を歩いて気になったものを写真10枚でまとめましたのでご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

1.

 

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まずはストレートにここに来ました。

日本橋です。1603年に徳川家康により架けられて以来、幾度も新しい橋に架け替えられていますが現在の橋は1911年に完成したもので国の重要文化財となっています。初代の橋は復元模型が江戸東京博物館に展示されています。写真に写っている獅子の像や映画「麒麟の翼」で有名となった麒麟像などの装飾を始め、柱にある「日本橋」の文字は徳川慶喜によって書かれたものであるなど、橋梁としての歴史を感じさせる逸話には限りがありません。その名の由来は諸説ありますが、江戸に住む方々が完成前から自然と日本橋と呼んでいたという不思議な逸話もあるそうです。それくらい日本の中心的存在であるというイメージが当時から滲み出ていたということでしょうか。一つ残念なことがあるとすれば1963年に橋の上に首都高が架けられ景観が当時と変わってしまっていることかもしれません。これはたびたび都の議題に上がっており数千億円を掛けてこの区間の首都高を地下化するという話も出ているほどです。日本橋の景観にはこれからも注目です。

 

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

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日本橋からもう一つです。

橋の真ん中の首都高の間を見上げるとカッコいいオブジェがあります。これは日本国道路元標と呼ばれるものです。日本橋は1604年に徳川家により東海道日光街道奥州街道中山道甲州街道五街道の起点とされました。現在でも五街道を受け継いだとも言える1,4,6,14,15,17,20号の7つの国道の始点となっています。「東京まであと◯km」の標識の「東京」とはまさにこの道路元標があるこの地点を指しているって話も有名ですね。今も昔も東京、ひいては日本の中心の象徴とも言える場所であったことがよくわかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

3.

 

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日本橋からさらにもう一個です。

日本橋のふもとにある船着場からは日本橋クルーズが出航しています。株式会社東京湾クルージングが運営するこちらのクルーズツアーではいくつかのコースが用意されており、神田川隅田川などを通り東京の観光名所を川から見ることのできる貴重な体験ができます。いずれも1時間前後で1500〜2500円ほどとなっており外国人観光客などにも人気のようです。日本橋はもともと魚河岸として栄えたこともあり船での交通の便も良いところです。かつての船頭が見ていた景色を想像しながら乗るのも面白そうです。歩くだけでなく川からの視点の東京巡りもまたたくさんの発見がありそうですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

4.

 

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魚河岸の話が出たのでこちらも紹介します。

日本橋魚市場発祥の地という碑とともに魚のイメージからか乙姫の像が置かれています。もともと江戸時代の初期に佃島にいた漁師たちが幕府へ納める魚を獲っており、その余りをこの日本橋あたりで売り始めたのが魚河岸の始まりとされます。そこから魚を使った料理屋やそれを捌く包丁屋など魚に関するあらゆる商業が発展し日本橋は一躍江戸の中心的存在になっていきました。しかし1923年の関東大震災で魚市場は全焼、現在はこうした名残を点々と残すのみです。魚市場自体はその後みなさんご存知の築地に移転し、それがまた最近豊洲に移転しました。こういう歴史的な変遷は元を辿ると面白いですね。街の役割は変われど当時の賑わいは現代にも脈々と受け継がれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

5.

 

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発祥の地つながりでこれも気になりました。

ここ日本橋郵便局は郵便発祥の地とされています。1871年に近代郵便制度がスタートした際、最初の郵便役所が置かれた場所がここです。この近くには郵便制度の父と呼ばれる前島密の胸像も置かれています。当初は江戸幕府へ納める魚を生け簀などで保管していた建物をほとんどそのまま転用していたそうでこれもまた日本橋らしさを感じます。またこの郵便局の前に東大前・根津編でご紹介した金色のポストを見つけることができました。

東京写真10選その33(東大前・根津編) - 東京日記

日本に3つしかないらしいのにたまたま2つ目も見つけてしまいました。発祥の地だし置くのに相応しい場所なんでしょうね。もう一個は大阪にあるらしいのでこの企画ではご紹介できなさそうです...。

 

 

 

 

 

 

 

 

6.

 

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三井本館に来ました。

様々な歴史ある建造物が並ぶ日本橋においてもやはりこの建物は目を引きます。関東大震災で壊れた旧本館を1932年に作り変えたもので中には三井記念美術館三井不動産三井住友銀行三井住友信託銀行など三井の会社が多く入っています。三井記念美術館では刀や陶磁器、屏風絵などが収蔵されておりその中には国宝や重要文化財も多く含まれています。これらは三井財閥を成した三井家の数百年にも渡るコレクションであり、美術館に収蔵することでその散逸を防いでいます。やはり財閥はいろいろとスケールが違くて驚かされますね。ちなみにこの三井本館は、木村拓哉主演の「HERO」で東京地検城西支部としてキムタクが度々出入りする建物であり、堺雅人主演の「半沢直樹」では東京中央銀行の本店の外観として使用されていました。ロケ地巡りとして訪れてもいろいろな発見があると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

7.

 

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三越に来ました。

日本橋に本店を構える三越は建物自体が重要文化財であることや正面玄関のライオン像が有名ですが、個人的に気になるのはこの天女(まごころ)像です。吹き抜けの4F部分まで到達しようかというその高さは11m。木彫りで作られたその姿の圧倒的な迫力と細かな装飾には何度見ても驚かされます。これは佐藤玄々という彫刻家の作品で、樹齢500年のヒノキを掘り出し鮮やかな岩絵具で彩色したものです。多くの弟子と共に製作に当たった佐藤でしたが構想から完成には10年近くを要したと言います。名前にもなっているまごころとは三越のお客様に対する基本理念から来ているもので、まさにまごころを込めて作られた作品であることがわかります。佐藤はこの作品の完成した3年後に息を引き取りますが、彼の残した天女は今も穏やかな微笑みで三越を見守っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

8.

 

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凧の博物館に来ました。

色黒の茂出木シェフでもおなじみのオムライスで有名なたいめいけんの横に凧の博物館が併設されているのをご存知でしょうか。博物館の中には所狭しと江戸時代や世界の凧が展示されています。これはたいめいけんの創業者である初代シェフ、茂出木心護氏の凧好きが高じて作られた博物館です。茂出木氏の凧好きは相当なもので現在会員数1300人を超える日本凧の会の創設者でもあります。東京生まれの茂出木氏は生粋の江戸っ子で祭りや落語を好んだ他、凧も主に江戸凧への愛着が大きかったようです。子供の頃は何度かやりましたが、古くからの文化として見ると凧もまた違った魅力が見えてきました。自分の好きなことで博物館開けたら楽しいだろうなぁと少し羨ましくもなる博物館でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

9.

 

 

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一石橋迷子しらせ石標というものを見つけました。気になる。

一石橋(いっこくばし)というこちらの橋。江戸時代に後藤庄三郎、後藤縫殿助という二つの後藤家の援助を受けて出来た橋とされ「ごとうとごとう」が「五斗と五斗」になり、それらを足した十斗=一石であることからこの名前がついたのだとか。粋ですね〜。そんな一石橋があったこの付近は江戸時代より人の往来が非常に多い場所でした。日本一の魚河岸があるとなれば当時の混雑も容易に想像できます。すると出てくるのが迷子の問題。この石標は右側に「知らする方」、左側に「たづぬる方」と掘られており、たづぬる方に迷子の保護者が子供の特徴を書いて貼り付け、それを見た通行人は心当たりがあれば知らする方に情報を書いて貼り付けたと言います。昔ならではの情報提供システムですね。他にも人通りの多い所にはこうした石標が置かれていたと言いますが、現存するのは一石橋のこれだけだそうです。当時の生活の様子を伺える貴重な資料と言えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10.

 

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ゴジラがいました。

ここまで来ると日本橋というより大手町な気がしますが紹介しちゃいます。ここは2027年に高さ390mという超巨大高層ビルが完成予定となっている東京駅前常盤橋プロジェクトの建設地です。東京タワーをも上回る高さのビルができることで、新たなシンボルが東京に誕生することになります。日本橋の進化はまだまだ止まりませんね。そんな建設地になぜシン・ゴジラがいるのかというと、実は劇中のシーンでその巨大ビルが登場していたからなんです。ゴジラとの最後の決戦シーンでゴジラを押しつぶすのに使用された高層ビルがまさにここで建てられているビルの完成予定図と同じ見た目をしています。気になる方はもう一度見直してみると現在の東京には無い背の高いビルが登場していることがわかります。シン・ゴジラはだいぶ未来のお話だったんですね。建設予定地に劇中で破壊された映画の写真を貼るのはかなり不吉な気もしますが。古くからの良さと最先端の魅力がミックスした日本橋の新たな象徴になることを願ってやみません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ということで日本橋をお送りしました。来週は前回登場してから一番期間が空いちゃってる区から大きい街をご紹介します。お楽しみに。

 

 

 

 

 

 

おわり