こんばんは一流です。本日も写真10枚で東京の街を紹介していきます。今夜は天国であり地獄であると称された街、吉原周辺をご案内します。
東京で最もアダルトな街がついに登場です。今宵ご紹介しますは日比谷線が通る三ノ輪駅周辺とかつて吉原遊郭があった千束の風俗街です。
三ノ輪駅といえば日比谷線が通る上野から2つ隣の駅です。他に乗り換え路線はありませんが、徒歩圏内に都電荒川線の始発駅である三ノ輪橋駅を構える下町が広がっています。そして三ノ輪駅から徒歩10分ほどのところに広がるのが都内最大のソープ街、かつて吉原遊郭が広がっていた地域です。現在も店の前にはスーツを着た客引きの男性でいっぱいです。この周辺も視点を変えて歩いてみると興味を引くものがたくさんあります。あらゆる歴史の詰まったこの街で見つけた選りすぐりの10枚の写真をご覧ください。
1.
まずは三ノ輪橋停留場からスタートです。
都電荒川線はここを始発として早稲田停留場までを結んでいます。その歴史は古く、1911年には都電荒川線の前身である王子電気軌道の停留場として開業しています。かつては都民の足として東京中に張り巡らされていた都電も現在ではこの荒川線を残すのみですが、この停留場は古き良きその時代の雰囲気がそのまま残されているような佇まいをしています…と言ってもこれは2007年のリニューアルで昔風に作り変えたからだそうです。でも街並みには馴染んでいるのでかつては本当にこんな感じだったのでしょう。春には駅前にバラが咲き乱れより鮮やかな景色を見せてくれるそうです。
2.
そんな三ノ輪橋停留場前にあるジョイフル三ノ輪という商店街です。
こちらもまたレトロな雰囲気が漂う商店街ですね。昼間だというのに人通りが少なく、シャッターが閉まっている店舗も多くあり少し寂しい感じもありましたが、歴史を感じさせるお店もたくさん見かけました。食べ歩きにオススメな下町の商店街として最近また脚光を浴びているようなのでまだまだ活気付いてほしいですね。ちなみに私はこの商店街に初めて来たのですが何か見覚えがあるなと思ったら、かつてやってたトリビアの泉のトリビアの種のコーナーで「駅まで5分の距離を競歩の選手が歩くと〜分で着く」という企画で使われたのがこの三ノ輪橋商店街でした。なんで覚えてるんだ自分。
3.
インド料理屋を見つけました。
看板を見ると店名が「ネパールインドレストラン世話」とあります。これまた変わった名前ですね。「ネパールインドレストラン」と検索すると最初の候補にこの店が出てきます。評判も良く、大人数での利用もできる人気店のようです。お世話になった人に恩返ししたいとかそういう意味なんでしょうか。この周辺にいくつか他の店舗も構えているようなのでお世話になりたい方はぜひ訪れてみましょう。
4.
下町人間庶民文化館に来ました。
これもすごい名前ですね。下町人間庶民文化という聞きなれない言葉です。ドアの向こうに何があるのか気になったんですが、閉まっていて見れず。調べてみると広島・長崎の原爆や東京大空襲などの戦争の悲惨な歴史を忘れないよう後世に語り継ぐための施設のようです。中に展示されているのはなんと広島の原爆の火。原爆が投下された後の広島の街で燃えていた炎を「この惨状を忘れてはならない」と山本達雄さんという方が自宅に持ち帰り、それから一度も絶やさずに守り続けているそうです。多くの人が暮らした下町だからこそ、こうした歴史と向き合うことを忘れてはいけません。
5.
さてここからは大人の世界、かつての吉原に突入します。
道の両脇に茶色い柱のようなものがあるのが見えますでしょうか。ここにはかつて吉原の入り口となる大門が設置されていました。現在もこの場所には吉原大門という地名が残され、交差点やバス停の名前として使われています。ここに遊郭があった頃は遊女の逃亡を防ぐため吉原への出入り口はこの大門のみだったと言います。この道、歩いてみるとよくわかるのですが大通りからこの大門跡に来るまでかなり蛇行しています。これは大通りから吉原の中の世界が見えないようにするための工夫だったと言います。まさに秘密の花園として吉原は男の憧れであり続けていました。
6.
そんな吉原大門の近くにあるのがこちらの柳です。
名前を「見返り柳」というこの柳。その名の通りこの柳のあたりで吉原を訪れた客が帰るときにその名残惜しさから遊郭を振り返ったと言います。数代に渡り植え替えが行われており当時の柳そのままではないですが、現在も風俗街の出口にあるとあって、果たしている役割は吉原があった当時と変わらないようです。
7.
吉原弁財天に来ました。
吉原神社の敷地の一角であるここにはかつて悲運の運命をたどった遊女たちを弔う為に建てられた観音像が鎮座しています。写真にあるのは最近改修された弁天祠の壁です。華やかな弁天様が見下ろすこの地はかつて弁天池という池がありました。1923年に起きた関東大震災で吉原は大火に見舞われました。出入口の少ない吉原の街に閉じ込められた遊女たちは弁天池に飛び込み、500人近くがそのまま溺れ亡くなったといいます。この吉原弁財天ではそんな遊女たちを追悼するために追悼記念碑や観音像、当時の新聞資料などが置かれています。現在でも献花や供え物が絶えないそうです。今も弁天池の名残なのか境内には小さな池が広がっていました。中には色鮮やかな錦鯉が多く泳いでおり、艶やかなその姿はまるで美しい遊女達が舞っているかのように映りました。
8.
怪しい喫茶店を見つけました。
「星の王女様」と「H2」という店名の喫茶店。ストレートに怪しい香りがします。「ドリンク500円 お気軽にお入りください」とあります。なかなか気軽に入るのは難しそうなこれらの喫茶店ですが、調べてみると吉原のこういった喫茶店は情報喫茶と呼ばれるいわゆる風俗店の紹介所となっているところなのだそうです。繁華街だとド派手な装飾をしている紹介所ですが、吉原では喫茶店という体でいろんなお店を紹介しているのだそう。これもまた歴史のあるこの町ならではといったところでしょうか。
9.
ヤギがいました。
薬局の前にあるケージの中に突然ヤギがいて脳が混乱してしまいました。角も立派なわりと大きめのヤギです。こちらのヤギはメイくんというらしく地元のお祭りなどにも参加しているここらじゃ名の知れたヤギみたいです。好物は「よもぎ、おから、ウーロン茶」らしく下町らしい渋いラインナップが並んでいます。飼うことになった経緯はよくわからないですが、マスコットキャラとしてはインパクトがあっていいですね。ちなみにこの薬局は精力剤をめちゃくちゃに大々的にアピールしてました。土地柄ですね。
10.
最後はこちら一葉記念館で締めましょう。
五千円札の顔、樋口一葉。彼女の有名な作品といえば「たけくらべ」がまず浮かびますが、その物語の舞台となっているのは吉原遊郭でした。彼女の文学的功績を世に伝えるために物語の舞台まさにその場所に作られたのがこの一葉記念館です。物語の舞台となった街並みを再現したギャラリーや一葉の年表などがあり彼女の作品を肌で感じることのできる施設となっています。若くして兄や父を亡くし苦労の多い人生を送ってきた彼女は当時の吉原の街並みをどのような思いで見つめていたのでしょうか。今のこの街を歩いて改めて彼女の作品を読んでみると気づかされることがたくさんありそうです。
ということで三ノ輪・吉原の大人の世界をご紹介しました。
次はあの高級住宅街に行きます。見てね。
おわり