東京日記

東京の気になったものについて書いてます。『東京写真10選』全100編公開中

東京写真10選その73(勝どき・月島編)

みなさんこんばんは一流です。今日は2020年の東京オリンピックに向けて開発が進められている勝どき・月島のエリアをぶらりと歩いて気になったものをご紹介します。

 

 

 

 

 

中央区から勝どきと月島の登場です。明治から大正にかけて作られた埋立地であるこのエリアは四方を川に囲まれており、タワーマンションなどが立ち並ぶ住宅街が広がります。特に勝どきエリアは東京オリンピックに向けて開発が行われているエリアでもあり、選手村などの建設が急ピッチで進められています。都営大江戸線が通る勝どき駅大江戸線東京メトロ有楽町線が通る月島駅が交通の中心となりますが、橋を渡って晴海のエリアに入ると電車の駅がなくなりバスや歩きでしか行けないような場所がいくつかあります。本日はそんなところも紹介していきたいと思います。開発の進む臨海エリアで見つけた気になるものの写真10枚をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

1.

 

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まずは勝どき駅が気になります。

「勝どき」というひらがな混じりの表記ですが、本来は「勝鬨」と書きます。この「鬨」の字は当用漢字外であるためここは駅も地名も「勝どき」と書くのが正式な表記となります。この「鬨」とは戦場であげる雄叫びのことを指し、エイエイオー!!というアレなんかが鬨に当たります。その由来は1905年のこと、日露戦争で旅順を攻め落とした祝勝記念として築地と月島を結ぶ「勝どきの渡し」という渡し船が作られたことによります。その後ここには以前築地を歩いた鬨...時にご紹介した勝鬨橋が掛けられました。

東京写真10選その49(築地・築地市場編) - 東京日記

地名の由来が1900年代初頭と比較的新しいのもここが埋立地であることの証左と言えますね。臨海エリアは歴史が浅い分、ほかとは違った地名が見られるのでそこにも注目して歩くと面白いです。

 

 

 

 

 

 

  

2.

 

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勝どき駅の近くにある公園で平和モニュメントを見つけました。

この月島第二児童公園には中央区立の16の小学校の子供たちが作成したモザイク平板のモニュメントが飾られています。これは1988年に中央区が定めた平和都市宣言の趣旨を広めるために作られたものです。この平和都市宣言とは地方自治体が核兵器の廃絶を宣言するもので都内でもほとんどの区と市がこれを行なっています。ですがこうしてモニュメントとして残している区というのは珍しい気がします。東京オリンピックでも中心的存在を担う区としてこのような取り組みを進めることを続けていってほしいですね。

 

 

 

 

 

 

 

3.

 

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十返舎一九のお墓を見つけました。

 十返舎一九といえば「東海道中膝栗毛」で知られる江戸時代の戯作者ですが、彼のお墓は勝どきにある東陽院というお寺に建てられています。現在の静岡県に生まれた彼は江戸に出たあと様々な作品を著しましたが、特に主人公が日本橋から東海道を通り京都に辿り着くという「東海道中膝栗毛」が大ヒットし代表作となりました。1832年に亡くなったあとは浅草にある東陽院にお墓がありましたが、関東大震災後で東陽院が被災して勝どきに移転した際にお墓も一緒に移され現在に至ります。彼の辞世の句もここに書かれています。

「此世をば どりやお暇に 線香の 煙と共に 灰左様なら」

『お暇しよう』という意味の『お暇にせん』の『せん』に『線香』を繋げて、そのまま『ハイさようなら』の『ハイ』に『灰』を掛けているなんとも洒落ている辞世の句ですね。彼の人柄が見て取れるようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

4.

 

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十返舎一九の碑の近くにもう一つ気になるものを見つけました。

防災まなぶ不動明王尊縁起と名付けられているこちらの不動明王さま。隣にある碑を読んでみると、過去にこの場所で起きた忘れてはならない出来事が書かれていました。1982年、勝どきにあったマンションで火災が発生しました。出動した消防隊員佐藤学さんは燃え盛る猛火を掻い潜り、7Fに突入し4名の救助に成功します。しかし脱出用のリフターに自分も乗ると重量オーバーで危険であることを考慮し、一人はしご車のはしごに飛びつきます。猛火に晒されていたはしごは高熱を帯びており、また佐藤さんの体力や握力も限界を迎えていました。彼はそのまま降りる事が出来ずに殉職されました。新婚3ヶ月だったと言います。自分を犠牲にして多くの方を守り抜いた彼の行いを忘れないため、また消防関係者の安全を祈願してこの不動明王さまが安置されています。我々が過ごす安寧な生活は彼のような方達によって支えられていることを忘れてはいけません。

 

 

 

 

 

 

 

 

5.

 

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朝潮小橋にきました。

個人的に都内の中でも好きな橋ランキング上位に来る橋です。1998年に作られた勝どきと晴海を繋ぐ小さな人道橋ですが、レインボーブリッジなどを一望できるいいスポットにありドラマの撮影などにも使われる隠れたオシャレスポットです。夜は欄干の部分が光る珍しい作りをしており、ますますロマンチックさが増します。この橋が架かる朝潮運河には月島側に朝潮大橋という橋が掛かっているのですがその正反対の場所にあるのがこちらの朝潮小橋ということでなんだか子分みたいなところもまた可愛いです。今度は夜に訪れたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6.

 

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晴海埠頭にある晴海客船ターミナルにやってきました。

東京の海の玄関口である晴海客船ターミナルです。東京湾を眺めたことのある方はこの特徴的な建物を目にしたことがあるはずです。1991年に東京湾開港50周年を記念して作られたこのターミナルには国内外の豪華客船などが接岸します。ですが、東京オリンピックに向けて再開発が進んでいるど真ん中のエリアとあって将来的な取り壊しが決まっています。東京湾の玄関口の役割は現在のゆりかもめ船の科学館駅あたりに出来る東京国際クルーズターミナルに移される予定です。この晴海旅客ターミナルには現在週に1,2回程度しか客船の停泊がなく、駅からも徒歩20分以上掛かることから東京湾を一望できるスポットにありながらほとんど人通りがありません。そのため撮影などに使われることも多く、この日もYoutuberらしき集団や20人くらいのアイドルが撮影を行なっていました。個人的にはこの場所の雰囲気が大好きなので取り壊される前にできるだけ行っておきたいなと思ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7.

 

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変わりゆく景色といえばここもそうです。

晴海旅客ターミナルの隣にある晴海埠頭公園です。こちらも東京湾を一望できる素晴らしい位置にあり、緑と海のコントラストが見事な公園でした。ですがここも再開発の煽りを受け現在は休園中です。この周りにはものすごい数の選手村のビルが建てられている最中ですが、オリンピックが終わった後はリニューアルされ新しい公園として生まれ変わる予定とのこと。個人的にはこの公園には色々と思い出がありまして、高校生の頃の夏の季節は毎年のようにここで花火をしたり水風船をぶつけあったりして遊んでいました。人も少なくて本当に楽しい場所だったので工事用フェンスで覆われている現在の姿を見たときは柄にもなく寂しさがこみ上げてしまいました。が、これも進むことを止めない街である東京の宿命です。生まれ変わった新しい姿に期待しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

8.

 

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晴海トリトンスクエアに来ました。

3棟のオフィスビルを中心とした商業施設です。商業施設はなかなか洒落てる見た目をしており晴海の街でもよく目立つ存在です。トリトンとはギリシャ神話に登場する海の神様のことを指し、晴海という海の街にあやかった名前であると同時に3棟のビルがあることから3という意味のトリも兼ねているそうです。元々は公営アパートがあった場所の跡地であり、現在でも住居群が併設されています。晴海のあたりには大きな商業施設が少ないためこうした一体型の施設はありがたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

9.

  

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海水館の碑を見つけました。

大阪にある水族館かと思ったら違いました。海水館とは明治時代にこの場所にあった割烹旅館の名前です。現在の月島は明治に埋め立てられた新佃島にあります。今より他の埋立地が少なかった明治の頃はこの辺りから東京湾を一望する事ができました。千葉県の房総半島の山々まで臨む事ができたと言われ東京の景勝地の一つとして名を馳せていたそうです。人も少なく閑静な地でもあったことから明治末期には数々の文豪が執筆する拠点としてよく利用されるようになりました。島崎藤村竹久夢二吉井勇三木露風など当時を代表する文学者がこの地で創作活動に勤しんだと言います。現在では彼らが見ていた景色は見る事ができませんが、彼らの作品を通して当時の風景を想像してみるのもまた一興かもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10.

 

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やっぱり最後は月島もんじゃストリートで締めましょう。

月島といえばもんじゃ、もんじゃといえば月島です。このもんじゃストリートには70店以上ものお店がひしめいており、まさに世界一のもんじゃ街と呼ぶ事ができるでしょう。なぜ月島はここまでもんじゃ屋さんが多いのか気になっていたので調べました。もともともんじゃとは子供向けの駄菓子屋などで流行した食べ物でした。うどん粉などを水で溶き鉄板で焼くだけという安くシンプルな調理法と鉄板の上で自分たちの自由に焼くことのできるエンターテイメント性を持ち合わせたもんじゃは駄菓子屋を子供たちの社交場に変え昭和3,40年頃に流行しました。この月島エリアは当時工場が多く、小さな子を持つ家族が多く住んでいました。月島の駄菓子屋ではもんじゃが特に流行しており、そこからだんだん発展を遂げ今では大人たちも楽しめる料理として浸透したそうです。私も何回かここでもんじゃを食べてますが、その店とメニューの豊富さから何度訪れても新たな味を楽しめる奥の深いもんじゃストリートでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

ということで再開発で忙しない勝どきと月島を歩きました。

来週は一風変わって街というよりある施設の中を散歩したいと思います。お楽しみに。

 

 

 

 

おわり