東京日記

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嬉しいような悲しいような

どうも リューイチです。

 

突然ですけど「新しい」って漢字、なんて読みますか?

 

「あたらしい」ですよね?当たり前のことです。

 

じゃあ「新たな」はどうでしょう?「あらたな」です。

「新しい」「あたらしい」なのに「新たな」「あらたな」...?

 

 

 

 

 

 

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これはもともと、「新しい」「あらたしい」と読むのが正しかったんですが、みんなが「あたらしい」「あたらしい」と間違えるのでそちらが正しくなったそうです。そんなのアリかよ。(「新たな」は昔の読み方のまま放置されているらしいです。)

 

このように日本語には意外と適当だったり欠けているところがたくさんあります。

今日はその中でも『形容詞』について言いたいことがあるのでその話をさせていただきます。

 

『形容詞』は物事の状態を表す言葉で、日本語だと"い"で終わるものがそれです。「すごい」とか「ヤバい」とか「パない」のアレです。(ボキャ貧)

その『形容詞』に言いたいこと、それはズバリ日常的によく使う言葉が足りていないということです。

 

例えば日本語には『若い』の反対の意味に当たる形容詞がありません。『年を取った』とか『老いた』はあります。確かにこれらは形容詞的な使われ方ではありますが、"い"で終わっていないので形容詞ではありません。また『古い』という形容詞はありますが人の年齢に対して使う言葉ではありません。『ジジイ』"い"で終わってますけど名詞です。英語で言う『young』の反対に当たる『old』の部分がすっぽり無いのです。普段あまり気にならないことですが、よく考えるとこれは不便です。

 

また英語の『hungry』に当たる形容詞も日本語には無いです。「お腹が空いた」とか「腹減った」とか、『お腹』という主語と『空いた』という動詞でなんとか『hungry』という状態を表しています。『thirsty』も同様に「喉が渇いた」としか日本語では表現できません。

これらは日常的によく使う表現であるにも関わらず、日本語では長く形容詞が生まれてこなかったということになります。

 

 

 

 

 

 

 

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じゃあ日本語は表現に乏しい言語なのかというとそれは違います。逆に日本語にしか存在しないような形容詞もたくさんあります。

 

例えば『もったいない』がそれです。これは他の言語にはあまり見られない表現です。ものを失うことがはばかられるという意味から転じリサイクルや環境保全の標語として10年くらい前にワンガリ・マータイさんがMOTTAINAIとして世界に広めようとしていたこともありました。どうでもいいですけどワンガリ・マータイってフレーズめちゃくちゃ耳に残りますよね。

 

あとはいわゆる『侘び寂び』もそれです。『侘しい』とか『寂しい』とか『切ない』も世界にはあまりない形容詞です。英語では『寂しい』『形容詞』ではなく『miss』という『動詞』として訳される事もあります。つまり英語には『寂しい』にぴったり当てはまる形容詞がないのです。ただ『寂しい』『miss』をどう訳すかという問題もかなり複雑で、知ったかぶりをすると英語ガチ勢にボコボコにされそうなのでここでは深く言及しないでおきます。

 

日本語にはこういった何かを失うことに対する寂寥感やその中にある奥深さのような表現を表す形容詞が充実しています。これらの形容詞は、古来よりそうした感情が日本人の美意識として受け継がれてきた証なのです。形容詞、深イイですね...。

 

 

 

 

 

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でもそんなに奥深い感情があるならお腹すいたとかの形容詞あってもよくない!?!?!?!?

 

 

 

おわり